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自信教人信の記

〈じしんきょうにんしんのき〉阿弥陀如来の本願、浄土真宗の先生達の思想について、自らの信心、思索を深め、人にも伝えようとするものです。

安心と不安と

私は、阿弥陀如来の本願を信じて、安心して生きているのですが、反対に、安心して生きていないとはどのようなことでしょうか。

 

安心が無い、というのは「不安を抱えつつ」ということでしょうが、これは恐らく、多くの人に当てはまることと思います。仏教では「生老病死」という4つの根元的な苦しみを説いていますが、現代の日本人にはその他にも、様々な苦しみや不安の種類があります。受験、恋愛、就職活動、人間関係、仕事、借金、等々。常に何らかの不安を抱きつつ生きています。

 

これらの不安の原因は一様ではありませんが、敢えて一言で言ってしまえば、「思い描いている理想の自分」と現実との隔たり、ということではないでしょうか。本来ならこんなはずではなかったのに… という感情が、大きな原因でしょう。どんなに一生懸命、努力をして、勉強をして、準備をして、人に気に入られようとして、寛容であろうとして、リスクを回避しようとしても、自分の思っているように事が進まない、それどころかますます悪くなっていく…

 

私達は小さい頃から、努力は報われるとか、夢は信じていれば必ず叶う、とか教えられてきますが、ほとんどの人にとって、これは現実からかけ離れた絵空事です。何故、努力は報われないのか。

 

しかし、そもそもこの問いの立て方が間違っているのです。何故、努力は報われると考えるのか。これが正しい問いです。複雑極まりなく、種々の外部要因が存在するこの世界で、自分の努力次第で何でも可能になると考えるほうが難しくはないでしょうか。

 

小さい頃から刷り込まれてきた思考法はなかなか変えることが出来ませんが、現実の側から見れば、それが妄想であることは明らかです。努力が報われ、夢が叶うのは理想ですが、それを真理であるとするのは、現実を歪めていることに他なりません。自分の力でどうにか出来ることと、それ以外のこととを混同して考えている、と言っていいでしょう。

 

しかしながら、自分の力だけを頼りに生きている人は、そういう考え方を聞いたとしても、他にやりようが無いのだから仕方ないと感じるでしょう。これはもっともなことです。浄土真宗に出会う前の私もそうでしたから。

 

今回は、こんな問題提起をしたところで終わろうと思います。追々、どうやって浄土真宗に出会って、安心して生きる道に至ったかをお伝えしようと思います。

 

南無阿弥陀仏