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自信教人信の記

〈じしんきょうにんしんのき〉阿弥陀如来の本願、浄土真宗の先生達の思想について、自らの信心、思索を深め、人にも伝えようとするものです。

宗教との出会いⅠ 〜キリスト教の神について〜

私と宗教との出会いは、16年前の高校一年生の今頃だったと思います。
 
ドストエフスキーから

 

有名な作家の本を読んでみよう、という単純な動機から、ドストエフスキーの小説を読み始めました。先ず最初に、一番その名が知れ渡っているであろう『罪と罰』に手を付けました。ストーリー自体が面白くどんどん読み進められるのですが、物語の中心にキリスト教の問題が存在しており、きちんと理解するためにはキリスト教を勉強しなければならないな、と気が付きました。その後も、他の作品をずっと読んでいくのですが、キリスト教の問題がどの作品にも含まれています。そこで、聖書の勉強を始めることにしました。

 
動機としては、ドストエフスキーをより楽しむためだったわけですが、勉強を続けていくと、実際に信仰するかどうかは別の問題として、神という絶対者と自分との関係は如何なるものか、という疑問が湧いてきました。大学では哲学科に所属し、新約聖書ヨハネ福音書を専門に研究している教授の講義を受けるようになりました。
 

キリスト教の神について

 
旧約聖書の神
 
旧約聖書の中で、神は預言者モーセに十戒という戒律を与え、自分を唯一の神として命令に従っていけば安住の地を与えるであろうと教えました。その十戒というのは、現代社会にも通用するであろう倫理道徳を示しています。以下、モーセが与えられた十戒です。
 
  1. あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
  2. あなたはいかなる像も造ってはならない。
  3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  4. 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
  5. あなたの父母を敬え。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない。
  8. 盗んではならない。
  9. 隣人に関して偽証してはならない。
  10. 隣人の家を欲してはならない。
旧約聖書 出エジブト記 20章)
 
5〜10は誰でも納得が出来ると思いますし、人間社会の法律にも通ずるところがあります。ところが、よくよく旧約聖書を読んでみると、この神はイスラエル民族(ユダヤ人)だけの神であって、他の人々には気を掛けない、むしろ冷酷非道ですらある、ということが分かってきます。ユダヤ人以外にとっては用が無いし、神のほうでもユダヤ人以外には興味が無いのです。すると、日本人である私はこの神と真剣に向き合う道理は無いということになります。
 
新約聖書の神
 
では何故、キリスト教が世界の様々な民族に受け入れられるようになったかといえば、新約聖書に至って神の性格が変質したから、と言えるのではないかと思います。興味の対象は相変わらずユダヤ人なのですが、それを殊更主張することがなくなります。
 
その理由は、新約聖書の主役がイエスだからです。旧約聖書が、イスラエルの歴史と、預言者が神から直接受け取った言葉を綴ったものに対し、新約聖書
  • イエスの生涯の物語
  • イエスが起こした数々の奇跡
  • イエスが人間の罪を贖い(贖罪)、キリストであると証明されたこと
  • 初期教会の伝道の話
を主な内容としており、神自身が前面に出て来ることが少なくなりました。また、復活したイエスの声を聞いたパウロに代表されるように、他民族に対するキリスト教(イエスがキリスト=救世主である)の伝道が始まりました。
 
こうして、新約聖書による新しい時代が幕を開けました。神は、イスラエルだけではなく人類全体の神になり、イエスを通じて人間を赦した、恵み深い神になりました。
 
今回は、キリスト教の神についてまとめたところで終わります。次回は、この神と人間の関係について、私がどのように考えてきたかをお話ししようと思います。