自信教人信の記

〈じしんきょうにんしんのき〉阿弥陀如来の本願、浄土真宗の先生達の思想について、自らの信心、思索を深め、人にも伝えようとするものです。

宗教との出会いⅤ 〜『歎異抄講話』を読み始める〜

前2回は、私が数年の間キリスト教を勉強してきたけれども信仰にまで至らなかった、というお話をしました。このブログの主な目的は、第一回で示したように、「自信教人信の実践にあります。私自身の信心を深めていくと共に、人生の問題に悩んだり、不安を感じながら生きている人に、安らかな気持ちで日々を過ごすことが出来る道をお伝え」することです。

 

では何故、長々とキリスト教についてお話ししてきたかといえば、第一に私の宗教的なバックボーンを明らかにしなければならないと思ったから、第二にそれが「方便」になると考えたからです。

 

方便という言葉は日常的にはあまり良い意味で用いられませんが、仏教においては、真実に導くための手段・方法のことをいいます。それは時に遠回りだったり、婉曲であったりします。もしこのブログを読んでいる方が、私と同じようにキリスト教ではモヤモヤが晴れない、苦しみが除かれないと感じているのなら、この先もう少し付き合ってみれば答えが見つかるかも知れない、と感じてもらえる可能性があります。これが、方便と考える理由です。

 

浄土真宗との出会い

 

浄土真宗の勉強を始めたのは、大学を卒業して少し経ってからだったと記憶しています。仏教には数多くの宗派がありますが、倫理的でも道徳的でもない自分が、成仏するために戒律を守らなければならない宗派を選んでも先は無い、ということを理解していたのでしょうか。それとも、かつて祖父の葬儀の際に浄土真宗のお坊さんが「今は分からなくてもいいので、とりあえず南無阿弥陀仏と称えて下さい」と言っていたのを強烈に覚えていたのでしょうか。

 

とにかく、講談社学術文庫から出ている『歎異抄講話』を読み始めました。歎異抄については今後、詳しく紹介する機会を持つと思いますが、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の死後、教義の乱れたことを嘆いた弟子の唯円大徳が、親鸞聖人の語ったお言葉とその意義について伝えて下さったものです(著者については他の説もあり)。そして『歎異抄講話』では、著者である暁烏敏先生が歎異抄を親切に詳しく教えて下さっています。この本はその後、私のバイブルとなるものです。

 

今回は、ようやく浄土真宗に出会ったというところで終わりたいと思います。

南無阿弥陀仏

 

歎異抄講話 (講談社学術文庫)

歎異抄講話 (講談社学術文庫)