自信教人信の記

〈じしんきょうにんしんのき〉阿弥陀如来の本願、浄土真宗の先生達の思想について、自らの信心、思索を深め、人にも伝えようとするものです。

宗教書の読み方Ⅱ 〜比較研究的態度のメリットとデメリット〜

今回は、宗教書を読む際に比較研究的態度をもって臨むことの、メリットとデメリットについてお話ししたいと思います。ここでいう比較研究とは、二つ以上の対象について、それぞれがどのような特徴を持つか追求し、さらにどのような共通点・相違点があるかを示すことを言います。

 

メリット

 

例えば、仏教もキリスト教もそれぞれ独自の体系を持っています。信仰の対象、目的、人々の生活指針、説教物語等々。ところで仏教だけを学んでいるとすると、キリスト教がどんな体系を持っているか知ることは出来ません。他者を理解する努力を怠ると独善に陥りやすくなることはお分かりになると思いますが、宗教でも同じことが言えます。お互いの立場を尊重することは個人同士の場合と同様、大事なことです。

 

ただ、私が強調したい比較研究のメリットは別のことです。仏教もキリスト教も独自の体系を持っていると言いましたが、共通点も勿論あります。成立した時代も場所も異なっているのに共通点があるが、そのことにはどういう意味があるのか。比較研究的態度で臨むと、先ずこのような問いが立てられます。これが第一のメリットです。

 

上の問いが立てられることが何故重要かといえば、共通点がある、つまり人々が宗教に求めているものは似通っているかも知れない、ということに気付くことが出来るからです。求めているものが似ているならば、欲求の根も似ているのだろうと考えることが可能です。この問いを推し進めていけば、人間と宗教の関係の本質や普遍性への理解を深めていくことが出来ます。

 

共通点が分かると、異なっている点が際立ってきます。これが第二のメリットです。同じ内容を別の表現で表しているということだけでなく、全く別の何かを語っているということにも気付くことが出来ます。その宗教の独自性を理解出来るだけでなく、人間存在の捉え方の多様性を発見することが出来るのです。

 

デメリット

 

宗教を学んでいく上で「出来る」ことが増えるのが、比較研究的態度のメリットでした。しかし、メリットにはデメリットも付き物で、使い方を誤ると弊害も出てきます。それは相対化の誘惑です。

 

複数のものを比較していくと、必ず相対化して見てしまうという誘惑に駆られます。入門書だけをいくつも読んでいるような、表層的な理解しかないうちは特に相対化してしまいがちで、本質的な理解からどんどん離れていってしまいます。例えば、キリスト教の「永遠の命を得る」という話を聞いて、それは「不退転の位を得る」と同じかな、と字面の違いばかり追いかけていって中身まで踏み込めない状態です。キリスト教ではこう、仏教ではこう、と表面の浅い知識だけが増えていってしまいます。研究者ならそれでもいいのですが、このブログが想定する読者の皆さんには気を付けて頂きたいところであります。

 

南無阿弥陀仏